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仕様書は読めるのに、なぜズレるのか|外国籍ITエンジニアと日本の仕様書の行間

2026年7月23日 公開

第1回では「分かりました」をめぐる認識のすれ違いを、第2回ではレビューと報告をめぐる品質文化の違いを取り上げました。第3回のテーマは仕様理解です。
現場のマネージャーからは、次のような声が聞かれます。

仕様書が読めることと、仕様が理解できることは、実は同じではありません。ヒアリングを進めると、その間には行間とも言うべき、文書に書かれていない前提の存在が浮かび上がってきました。
日本語オンラインスクールでは、外資系企業のITマネージャーと約30年の経験を持つ組込みソフト開発技術者の2名に現場ヒアリングを実施し、44件の事例を収集・分析しています。本シリーズは、その分析をもとに、なぜ現場で認識のすれ違いが起きるのかを考える研究レポートです。

現場で起きた事例|適宜対応が、チームの数だけ別の実装になった

まず、今回のテーマを象徴する事例を紹介します。外資系企業のITマネージャーが経験したケースです。

項目

内容

場面

設計書に「適宜エラーハンドリングを行うこと」とだけ記載されていた

外国籍社員の行動

「適宜」という表現を自分なりの解釈で具体化し、実装を進める

日本人側の受け取り

質問がないため順調と判断し、途中で確認しない(実装後のコードレビューで初めてズレが発覚)

結果

エラー処理の粒度がチーム内でバラバラになり、リリース前に手戻りが発生

このエンジニアは、設計書を読み違えたわけではありません。適宜の意味も知っていました。
しかし、どのエラーを検知し、何をログに残すかという具体的な判断は読み手に委ねられており、本人は自分の経験に基づいてそれを埋めました。
一方、書き手が想定していたのは「このチームでいつもやっているやり方」です。実装中は質問がなかったため日本人側は順調と判断し、コードレビューで初めてズレが発覚。
その時点では複数人分の実装が終わっており、修正コストの大きい手戻りとなりました。組込みソフト開発の現場でも、客先仕様書の曖昧な表現をめぐる同じ構造の事例が報告されています。

なぜ起きたのか|「適宜」の手前にある2つの前提のズレ

この事例は、日本語の読解力だけでは説明がつきません。2つの前提のズレが重なっています。

要因①:判断を読み手に委ねる表現が、仕様書に残り続ける構造

「適宜」「必要に応じて」といった表現は、書き手の手抜きではなく、チームの共通認識があれば十分に機能してきた書き方です。同じ環境で経験を積んだメンバーなら、「適宜」の中身を同じように埋められるからです。
しかし、異なる環境でキャリアを積んだ読み手に、その共通認識はありません。各自が自分の基準で埋めるしかなく、読み手の数だけ実装が生まれます。
回答者は理想的な対応として、判定条件やエラーコードを具体的に明記することを挙げています。

要因②:「質問がない=共通認識がある」という思い込み

実装期間中、日本人側は質問や相談がなかったことから、意図通りに進んでいると判断していました。しかし読み手にとって「適宜」は、質問すべき不明点ではなく、自分で判断してよい裁量に見えます。
疑問が生まれていない以上、質問は出てきません。第1回で見た「沈黙・同意=理解」という思い込みが、仕様書の読解というより深いレベルで起きていたと言えます。

類似事例|仕様をめぐる4つのすれ違い

ヒアリングでは、仕様理解に関わる事例が複数報告されました。ここでも外資系ITと組込みソフト開発という異なる現場から、共通する構造が確認できます。

背景を伝えない依頼、目的とズレる成果物

機能改修を依頼した際、なぜその改修が必要なのかという背景を説明せず、作業内容だけを伝えていた事例です。
外国籍エンジニアは指示を文字通り正確に実施しましたが、成果物は本来の目的に合わず、追加修正が発生しました。
たとえば「画面から項目Aを非表示に」という指示は正確に実行できても、本当の目的が「業務廃止に伴い集計や帳票からも外すこと」であれば、画面だけを直した成果物は目的からズレます。
このとき日本人側が「理解力が低いのでは」と受け取ってしまった点も見逃せません。同じ構造の事例と同じ誤解が、組込みソフトの現場からも報告されています。

仕様書に書かれない『業務知識』という前提

締め日処理や稟議フローなど、日本特有の商習慣を前提とした要件を説明した事例です。
外国籍エンジニアは「締め日」「稟議」といった用語の意味は理解した上で実装を進めましたが、完成後に業務ロジックが根本的にズレていることが判明し、手戻りが発生しました。
用語の意味は分かっても、「締め日をまたいだ取引は翌月として扱う」「一定額を超える申請は上位者の承認が必要になる」といった業務の背後にあるルールは、日本の企業で働いた経験がなければ想像しにくい知識です。
こうした商習慣は、長く働く人には常識であるがゆえに、仕様書に書く必要があると意識されず説明が省かれがちです。回答者は、日本特有の業務慣習には補足資料や図解を用意することが有効だったと振り返っています。

影響範囲の「どこまで」が人によって違う

仕様変更に伴い影響範囲の調査を依頼したところ、本人の判断で一部モジュールのみが対象とされ、未調査だった箇所の不具合がリリース後の緊急対応につながった事例です。依頼した側は網羅的な調査を想定していましたが、「どこまで調べるか」の基準はどこにも明示されていませんでした。影響範囲の認識が人によって異なる問題は、組込みソフトの現場でも同様に報告されています。

テストケースの日本語を読み違える

ソフトウェアの評価工程で、日本語で書かれたテストケースの文言を誤解し、別の解釈でテストを実施した結果、バグが混入した事例です。日本人側はテストケースを理解できていると考えて業務を任せており、読み違いに気づく機会がありませんでした。回答者は、判定基準を定量的な記述にすることが有効だったと振り返っています。

共通する認識ギャップ|『書かれたことがすべて』か、『行間を補って読む』か

これらの事例を、弊社が現場事例の分析から整理した独自の枠組みの視点で見ると、根底には仕様書や依頼の読み方に関する前提の違いがあります。

この違いの背景には、日本の仕様書や依頼に見られる2つの特徴があります。

  • 書き手と読み手が同じ業務知識を持つことを前提に、背景説明が省かれやすい
  • 「適宜」「必要に応じて」など、判断を読み手に委ねる表現が使われやすい

これは日本の仕様書の書き方が誤っている、という話ではありません。同じ前提を共有するメンバー同士であれば、細部を省いた記述はむしろ効率的です。しかし、その前提を共有していない読み手にとって、行間は存在しないのと同じです。
書かれたことを正確に読み、正確に実行する——それ自体は誠実で正しい仕事の進め方であるにもかかわらず、結果として成果物はズレてしまいます。
そして行間を読む力は、日本語の語彙や文法の知識からは生まれません。業務経験と文脈の共有から生まれるものです。だからこそ、日本語の試験の点数が高いエンジニアでも、この種のすれ違いは起こり得るのです。
さらに今回の事例では、目的とズレた成果物を前に、日本人側が「理解力が低いのでは」と受け取ってしまう場面が、2つの現場の双方で報告されていました。
行間が共有されていないだけの状態が、能力の問題として解釈されてしまう。この誤解は、外国籍エンジニアの評価やチーム内の信頼関係にも影響しかねない点で、手戻りそのもの以上に注意が必要だと言えます。

現場への示唆

今回の事例で回答者たちが有効だと振り返った工夫は、いずれも「行間を文書とコミュニケーションの表側に出す」ことに集約されます。

  • 依頼はWhat(作業内容)だけでなく、Why(背景・目的)をセットで伝える
  • 「適宜」「必要に応じて」は、判定条件やエラーコードなど具体的な記述に置き換える
  • 影響範囲は図やチェックリストで可視化し、対象モジュールを明示して依頼する
  • 締め日や稟議など日本特有の商習慣は、補足資料や図解を用意して説明する
  • 重要な仕様書やテストケースは、着手前に読み合わせの場を設ける

一方、外国籍社員側にとっては、「仕様書には書かれていない前提があるかもしれない」という視点を持ち、作業の目的や背景を確認する姿勢が助けになります。
ただし第1回・第2回で見てきた通り、質問や確認が歓迎される環境があってこそ、その行動は取りやすくなります。また、暗黙の前提を文書化することは、外国籍社員のためだけでなく、日本人メンバー間の認識合わせや将来の保守性にもつながるのではないでしょうか。

次回予告

今回の事例の多くは、作業の途中で「これはどういう意味ですか」「ここまでで合っていますか」という相談や確認があれば、傷が浅いうちに防げた可能性があります。
しかしヒアリングでは、「行き詰まっても相談しない」「こちらから聞くまで進捗が報告されない」という事例が数多く報告されました。次回は、報連相をめぐる認識のすれ違いを分析します。

※本記事は、日本語オンラインスクールが実施した現場ヒアリング(回答者2名・44事例)の分析に基づく研究レポートです。事例は個人・企業が特定されない形に整理して掲載しています。

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